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zoom RSS 消えてゆく姿で世界平和の祈り

<<   作成日時 : 2015/05/13 18:35   >>

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世界人類が平和でありますように ≠ニ祈る場合には

自分の想いが世界人類の中に広がっていく

個人を通し 家庭を通し 国家を通し ズーッと人類に広がっていく

世界人類が平和でありますように≠ニ自分が思う時には

その愛の光が世界中に宇宙中に広がっていくわけです

それでまた 自分に返ってくるわけです  だから小さな小さな固まった

人間じゃなくて いいことをしょう いいことをしょうと焦るんじゃなくて

大きな意味で世界の平和を願う そういう練習を重ねていますと

いつの間にか自分が常に個人の小さな縛りの中で暮らしているのではなくて

大きな自由な世界 宇宙という中で自然にひとりでにいいことをしている

という状態になるわけです


人間というのは 大体 肉体にある人は不完全なのです

肉体の人間で完全円満はありません  霊なる生命が完全円満なのです

肉体人間の不完全さは誰にでもあるのだから それは消えてゆく姿にして

放すことです  現われてくるものはすべて消えてゆく姿と思いなさい

習慣に現われている人間というもの 肉体に現われている自分というものは

過去世の因縁因果によって ここに出てきている

因縁因果で現われているのだから みんな消えてゆく姿なのです

在るもの 本当のものは何かといったら 神様そのものがある

神の大生命の分け命がここに(胸をさす)あるので 分け命を称して

人間というのです 肉体を称して人間というのではないのです

分け命の 霊なる命が人間であって この肉体というのは 現われている

一つの現象にすぎない 器であり 場なのです

その消えてゆく姿と思った想いを 神様の中に入れるのです

世界人類が平和でありますように という祈り言葉をもって

神のみ心の中に入ってしまいなさい と言うわけです

そうしますと 神のみ心 救世の大光明によって みな浄められて

日々瞬々刻々 祈るたびごとに 新しい命 光り輝いた命が流れ

入ってくるのです  汚れた命と 新しい命と交換してゆくわけです


世界平和の祈りの道に入った人は 日常茶飯事に 寝るも起きるも

食事をする時でも 歩いている時でも 自然に世界平和の祈りを

やりながら あとは流れてくるというような形で 現われてきた事態に

対処すればいいわけです  そういう自然な流れがいいんです

それをいつも老子は説いているわけですね 無為にしてなせ=@と 

法然親鸞は自然法爾と言った  南無阿弥陀仏と自然に流れていけば

いいということになる

みんなが自然法爾に 無為にしていれば 世界はよくなるんだけれども

なかなか そういかないでしょう

だから気が付いた人だけでも 自然法爾 無為 神のみ心のまま

自由に大らかに伸び伸びと生きて しかもその生きていることが

人のためになる という生き方にしなければいけませんね

それが 消えてゆく姿で世界平和の祈りなのです


肉体は千年も二千年も生きている人はないし せいぜい百年です

単に百年間の肉体です

宇宙は無限億万年  

億万年というだけでも大変なのに無限がつくのですから

無限億万年の中の百年など ほんの一瞬にすぎない

フッというだけの一瞬です

その一瞬のために あらゆる悩み事を出して苦しみ

もだえ生きているということの馬鹿らしさ 愚かしさというものは

ありませんね  そうでしょう たかだか百年だけのために

苦しみ もだえ 悲しんで生きてゆくというのは 愚かしいですね

どうせ苦しむのならば 千年 万年 億万年のために 一生懸命

苦労辛酸をなめてゆくならわかります

実際問題として 人間の生命というものは 無限億万年生きるんだから

たかだか百年のために全部出しきっちゃ損だ というわけです

わかります?

もっと奥へ還ってゆくと 大宇宙神がありますね 宇宙がある

一なる絶対神があります  絶対神のみ心でもって神界も出来たし

霊界も出来たわけです  神界というのは微妙な波動のところ

霊界はそれを少し粗くしたところ 

幽界というのはもっと粗くなったところなのです

一なる神様がいろんな神様に分かれて 神界も創り 霊界も創り

幽界も創った

現在は 地球だけにに限っていえば 地球の肉体界を

今創っているわけでしょう  肉体界を創りつつあるわけです

どうして肉体界を創ったかというと 生命は物質の世界に働く

場合には 物質に合わせたものを創らないと 神様の命が

そこで生きない 働けないわけですよ

だから物質界に合わせて肉体というものを創って その中に神様の

命として入って来ているわけです

だから肉体は創られたものだけれども その肉体を動かしている

皆さんは本当は神様なんです  分生命というでしょう

太陽が照っている 太陽が神様とすれば 人間は太陽の光線なんですよ

それが皆さんの本体であり 本質であって 肉体は単なる器であり

場であるにすぎない  だから肉体のことばっかりでもって

思い煩うのは愚かしい というわけです

命の元が大神様 分けられた命の光線が自分なんです

だから 自分の本体本質に自分の想いがピッタリくっついて

肉体の自分を駆使して この地球世界を開いてゆくというのが

本当の生き方なんです


    五井先生 聖ヶ丘 講話  より 抜粋




宗教には二つの面があります

自分を磨いて自分を立派にする面と

人のために尽くす面と二つある

それを往相と還相というのです

神我一体となろうという姿が往相 人を救う菩薩行が還相

この二つが伴わなければいけませんね

それは同時に出来ることなのです

世界平和の祈りをして下さっている皆さんがそうなのです

往相と還相が一体になった人が 本当に立派な人なのです


やっぱり自分が立派にになることです

永遠のいのちなのた゜から どうしたって立派にならなければ

ならないようになっている

世界人類が平和でありますように 日本が平和でありますように

私の天命が完うされますように あるいは私が愛深い人間に

なりますように 寛容の美徳の備わった人間になりますように

といいことばかりを思うんですよ

この世界は想うと思いのままになる 汝の信ずる如く汝になれ

といって思う通りになる世界なのです

自分の心が愛に満ちた人間になりますように 把われの少ない

人間になりますように 寛容なる人間になりますように と思うことは

自分の頭で常に思えますね  誰に言われなくても 自分で想えば

いいんだから  これほど簡単なことはない

そうしている内に 知らない内に寛容の美徳が備わった人間になり

少しくらい誰かにけなされても少しも気にならない人間になります

これは心の修練です それが宗教なのです


世界人類が平和でありますように















  









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