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zoom RSS 神様も経験する

<<   作成日時 : 2014/12/21 09:11   >>

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この世的にいえば 三十才の人より八十才の人の方が

年が上に決っています

しかし魂的に見ると 肉体の年令と魂の年令とは何らの

関係がないのです

それはどういうわけかといいますと 何遍も生れ変わって

いろんな経験を経た人 いわゆる生命を生かした人

神様のみ心を余計に生かして働いた人が 

魂年令が高いわけなのです

今 あなた方の肉体があるその間の何十年という期間は

非常に何と言いますか 霊的発達が激しい時だし 

地上天国が出来る時なのです  

だから余程立派な人が揃わないと

地上天国は出来ないわけなのです

そこで守護神の方では立派な人を揃えようとしているのですよ

どんどん若い人が立派になってゆくわけなのです

ところが立派になってゆく過程としては どうしても前からの悪い癖

過去世からのいろんな悪い想念行為を身につけています

人間というものは 一旦思ったらそのものがズーッと

潜在意識に残りますからね  

どんなつまらない些細なことでも残っている分けなのですね

それは一才から何十才までの間のものが残るのではなくて 

一才の前 前生前々生過去世というものが残るわけなのですよ

幽体の中にね 一人一人がいろいろな想いを貯えているわけです

そこで三十億(現在は七十億)というものが幽体にいろんな想いを

貯えているわけです

それがズーッとさかのぼってゆくと 生命がいわゆる本源の世界から

この地球界に生れて来て 善い光の足跡もあれば 

業想念の蓄積されたものもあって 玉石混交して幽体に

溜まっているわけなのです

そこでこの世に生れて ズーッと苦労して来たりして 

信仰に入って神様がわかって 神様一筋に生きたとしても 

すぐパッと偉くなったり すぐ運命が開いたりと

いうものではないのです 開く人もあります パッと信仰に入り 

パッと目が開いてズーと開いてゆく人もある

しかし一年やり二年やり ある一つの段階に来ますと 

何かしら消えてゆく姿のようなものが出て来るのです

それでまた苦しんで それをぬけて来るとまたそういうものが出て来る

またぬけて来てそれから出る そうやっているうちに知らない間に

業想念の三界の世界を超えてしまうのです

バッと悟ったように思うけれども パッと悟ったのではなく 

悟るまでにいろんな魂の経験を経て それでパッと悟る 

頓悟するような状態が出て来る

魂的経験がなくて パッと悟るということはないのです


だから過去世において さんざん修業した しかも菩薩として働いていた

お釈迦様のような あるいはキリストのような いろんな人がいますね

法然でも親鸞でもそうだし 皆菩薩的な働きをしていた人達が

生れて来て三十才位までうんと苦しむのですから それだけの肉体の

経験がいるわけですから

その時代の肉体経験を経ないと いかに霊的に磨かれている霊であっても

やっぱり働けないのですよ

それでお釈迦様のような はじめから菩薩で生まれ変わり死にかわりして

菩薩行をしているそういう菩薩様が シッタルダ太子として生まれて

三十才位までは苦しみに苦しむのでしょう  いろいろの苦しみを経ている

妻ももらうし王子ですからいろんなこともする  いろんな遊びもした

それではいけないと 心が満たされないでやってゆく

そこまでは自分の本当のことがわからないわけです

お釈迦様が正覚を得るまでは 自分の前生もわからなければ

過去世もわからないし 自分がどういうものであるかもわからないわけです

三十才位までね するとわからない間というのは 普通の人と同じです

一寸も違いはしない 只普通の人よりも内向性が強いというだけであって

あたり前な人間ですよ  ところが悟ってしまった時 はじめて

あゝ自分は過去世からこういうことをしていたんだな こういう人間なんだと

いうことが ハッキリわかって来たのです

だから 例えば今三十であろうと四十であろうと 自分が凡愚だなと思ってもね

あゝまだ自分は駄目だなと思っても ダメだなあ凡愚だなあと思う心がいいのであって

自分は悟りを開いて もういいのだ と三十や四十でいっていたとすれば

それは案外あてにならないことが多いのです……


皆さんのように 自分というものを一遍なくして 世界平和なら世界平和の祈り

の中に全部投げ出したような人は 例えそこに苦しみはあっても

それは消えてゆく姿なのですね  過去世のものが現われて消えてゆく姿なんだ 

だからどんな苦しい姿が現われても 本当は人間は神の子であって.

完全円満なのだから あるものが出てしまえば 必ず本心がそのまゝ開いてくる時が

あるのだ ということを知っているわけですね

それを私が体験しています 体験している人が教えているわけですからね



      昭和 三十六年 八月号  五井先生講話 抜粋




皆さんは守護霊さん守護神さん有難うございます

といつも思っています

どうして守護霊守護神さんと二つにわけたかというと

普通の場合 守護神とはいうけれど守護霊というのはいわない

守護霊というと守護神といわなかったりするのですね

みんな一つづつで 同じものだと思ってごっちゃにしている

ところが大変な違いなのです

守護霊というのはあくまで祖先の悟った霊 守護神というのは

悟って守護神になってもっと神化したものもあるけれども 大体

直霊から分かれたはじめから神様で 肉体経験のない人なのですよ

ある人もあります  役ノ行者のような人も沢山います

大体基本的には肉体経験のない人が守護神になっている場合が多い

そうすると守護神だけでは この世の肉体生活の苦しみ悩みが

経験がないからわかってわからないのですよ

いくら神様でも経験のないことはわからないのです

大神様は生命の中に入っているから知っているけれども

はじめから守護神として働いている神様というのは 肉体経験が

ないのだから 肉体経験を知らないのです

いいかえれば はじめから坊さんで若い頃から山にこもって

滝にあたって修業をして それだけしか知らないで悟っちゃって

守護神になった人があるとすれば それは経験として浅いのです

市井の人情の機微とか いろんな感情の苦しみとかわからないのですよ

生活にも困らないし何もしないのだからね

貧乏した人は貧乏人の苦しみがよくわかります あゝ苦しいだろうな

大変だろうな しかし自分はそこを乗り越えて来たのだから大丈夫なのだ

とそういう経験があるのですね ところがいくら偉くてもその経験がなければ

わからないのです  面白いものですよ 経験がないとこういうことは……


神様というものは生命そのものだから 大神様は生命そのものだから

与えただけです 大神としては 

何が人間を指導するのか ということはそれは守護神なのですよ

守護霊守護神が人間の運命を司って 人間に協力して 神様のみ心を

地球界に現わすようになっているわけです

神様が法則としての神さまと それから守護霊守護神としての神様と

両方に分かれて 守護霊守護神が一所懸命人間を守りに守っているのです

いくらいっても駄目な人間が沢山いる  それをあきもせず 

守護霊守護神はよくあきもせずやっていると思う……

私か゛神様と一つになった時ね 守護霊守護神が涙ぐましき働きを

しているのがわかった 何もこっちはお礼をいわないのにさ

眠らないんだからね霊は 人間は眠るでしょ 霊の方じゃ眠らないで

働き放しなんだから それで一所懸命業を被っちゃ 苦しくなると滝へ行って

神様の世界でもみそぎがあるのですから やって又来ては守り

一所懸命しているわけ それをこっちは一寸も感謝しない

それをみていた時にね これはまず第一番に守護霊守護神に感謝

させなければダメだと思ったのですね  守護霊守護神がこんなに苦心して

守っているのにね 人間の方は知らん顔をして守りを受けている……


守護霊守護神に感謝させていると 今度守護霊守護神が

とても守りやすくなった……

守護霊守護神に感謝してね いつも守護霊守護神にくっついていることよ

どんな悪いことがあっても どんないやなことがあっても 守護霊守護神に

くっついていることよ  そうすると守護霊守護神がうまーくきれいに

消してくれるのです  そこで守護霊守護神さん 有難うございますと

感謝しなさい と私はいつもいうのです  それだけじゃまだ

積極的じゃないでしょう それでもっと積極的な為にね 

世界人類が平和でありますように と守護霊守護神への感謝の想いを

世界平和の祈りの方にむけたわけですよ……


        


世界人類が平和でありますように




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